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2012年02月18日

飯塚山笠 二瀬流れ① 誕生

平成23年10月25日 あすの筑豊を考える30人委員会 月例会

飯塚に新しく出来た、「二瀬流」、斉藤山頭、佐々木事務局長を
読売新聞筑豊支局にお招きし、なぜ“二瀬流”という山笠の“流”が
出来たのかお話しを聞いた。


炭坑後の衰退、活力のあるイベント、まちおこしのイベントを考えていく中で、
“山笠”はどうだろうか、とうい考えが出てきたそうだ。

2010年1月、2月ぐらい、
地元の中学の校長、小幡氏、今回お話しを聞いた
佐々木事務局長が、まちおこしのイベントなにかないか? 
山笠はどうだろうか?と
まず準備委員会を立ち上げた


リーダーはだれが良いだろうか? 斉藤(現山頭)さんは?
リーダーになって欲しいとの打診なしに、
人数がたりないので、人数合わせで、
山笠振興会の理事会に斉藤さんも参加してもらった。

そして、いつの間にか山頭に、これも必然だったのではないだろうか
斉藤さんがいなかったら二瀬流ができたなかったのではなかっただろうか
今回お話を聞いてそう確信した

2010年10月 
山笠振興会の総会で承認 ここの二瀬流が誕生した

ここからが大変で、山頭、事務局長は山笠に参加したことがなかった

金集め いくらいると?
人集め 何人いると? 全くわからないことだらけ

地元の自治会長会にお願い行ったところ
「出来るわけなかろうもん」 
「人間はどうすると?」 
「金は?」 
「やめちょけ!」

斉藤山頭なんで、“がんばれよ”と言ってくれないんだと思ったそうです

ただ、2回、3回と自治会長会に参加するたびに、
徐々に同調者が出てきたそうです

そして

2011年2月20日 
総決起集会を開催、斉藤市長も参加し320名の参加者があったそうです。
ここで、「大変だっだでしょう!」と聞いたところ
斉藤山頭「苦労は大してしてないんですよ、みんなが協力してくれた」
との返事
この時、斉藤山頭が口癖のように
「みんなが」「みんなが」
と言っている事に気が付きました。

そして、7月2日の初陣式には、200人のかき手、
沿道には300人以上の人であふれたそうです。

そして、7月9日、11日、13日の流れがき、
広い町内、途中で止まっても良いじゃないかとスタート、
沿道人たちの声援で、最後までヤマを動かしたそうです、
そして、斉藤山頭は率先垂範、全ての行程の先頭を走り切ったそうです

ヤマを動かして
一番うれしかったのは、お年寄りが出てきて
「ありがとう」 「ありがとう」と握手を求めて来た、
このときみんな待っててくれたんだと確信されたようでした。

心配していた資金も集まりだし、人も集まりだし

そして、うれしい誤算がたくさんあった話をうれしそうにしていました
新流(立岩)の古くなった子供山笠を譲り受け、子供山笠を実施
何人集まるかわからず、お菓子を準備 
予想を大きく上回りなんと150人以上の子供達が当日集まったそうです、
そしてお菓子が足りない なんども買いにいかれた うれしい誤算ですね
この話をする斉藤山頭の笑顔がなんとも言えませんでした。

「山は奥深い」 「若さはすばらしい」「若者のエネルギーはすばらしい」
と山笠をやって本当に良かったと実感がひしひしと伝わって来ました。
  


Posted by ともも at 08:08Comments(0)30人委員会