2009年07月13日
清道旗 博多山笠の歴史を学ぶ
追い山ならしの前に
櫛田神社にお参りした


この清道旗
参加させてもらっている
町内 「下東町」が奉納しているという話を聞いて見に行った
歴史のある町だと なんとなくブルッとした
なんと 嘉永元(1848)年奉納だ
またひとつ山笠の歴史を学んだ
山笠の公式HP(こちら)
によると
以下
追い山のコースには三つの清道旗が立てられている。いずれも各流の舁き山笠が回るので、見物のポイントでもある。
最初の旗は櫛田神社の清道にあり、“櫛田入り”のタイム(所要時間)はこの旗を巧く回るかどうかに左右される。もともと、何もなかったが、各流の回る位置が微妙に異なり、紛議にもなるため、嘉永元(1848)年、旧下東町の提案し、採用された。今も旧下東町が管理、祭りが始まると立てる。
二つ目が東長寺、三つ目が承天寺の前。東長寺は明治初めの神仏の分離まで櫛田神社を統治しており、承天寺は博多祇園山笠の発祥と深い関係にある。江戸時代を通して現在と同じように門前まで舁き入れていたが、明治26(1893)年、ここも正式清道とし、土俵で支える「清道旗」を立てて各流が回ることを義務づけた。
櫛田神社にお参りした
この清道旗
参加させてもらっている
町内 「下東町」が奉納しているという話を聞いて見に行った
歴史のある町だと なんとなくブルッとした
なんと 嘉永元(1848)年奉納だ
またひとつ山笠の歴史を学んだ
山笠の公式HP(こちら)
によると
以下
追い山のコースには三つの清道旗が立てられている。いずれも各流の舁き山笠が回るので、見物のポイントでもある。
最初の旗は櫛田神社の清道にあり、“櫛田入り”のタイム(所要時間)はこの旗を巧く回るかどうかに左右される。もともと、何もなかったが、各流の回る位置が微妙に異なり、紛議にもなるため、嘉永元(1848)年、旧下東町の提案し、採用された。今も旧下東町が管理、祭りが始まると立てる。
二つ目が東長寺、三つ目が承天寺の前。東長寺は明治初めの神仏の分離まで櫛田神社を統治しており、承天寺は博多祇園山笠の発祥と深い関係にある。江戸時代を通して現在と同じように門前まで舁き入れていたが、明治26(1893)年、ここも正式清道とし、土俵で支える「清道旗」を立てて各流が回ることを義務づけた。
Posted by ともも at 08:03│Comments(0)
│博多祇園山笠