2011年03月03日
学問のすゝめ 嘉穂東高校卒業式

新聞を見ていると
23年3月1日 母校 嘉穂東高校卒業式の記事を見つけた
平成元年 3月卒業の私 23年前に卒業式したことになる
新聞では、花村校長(嘉穂東高校卒)が卒業生へ
福澤諭吉の「学問のすゝめ」を引用して送るコトバとしたとあった
私も 最近 明治時代の「学問のすゝめ」を読むことが多い
100年以上前の文書であるが
あまり 学問を一生懸命やらなかった
私
40歳になったこれからでも間に合うハズだ
一生懸命頑張ろうという気になる
まあもっと早く気が付けばよかったのだが
以下
学問のすゝめの文章を一部紹介
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。
これが、一番有名なところだが
その後の部分はとても重要だと私も思っている
されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下
の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資
り、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずして各々安楽に
この世を渡らしめ給うの趣意なり。
されども今広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、
貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相
違あるに似たるは何ぞや。
その次第甚だ明らかなり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり
とあり。されば賢人と愚人との別は、学ぶと学ばざるとによって出来るものなり。
また世の中にむつかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。そのむつかしき仕事を
する者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人という。すべて心
を用い心配する仕事はむつかしくして、手足を用いる力役はやすし。
故に、医者、学者、政府の役人、または大なる商売をする町人、数多の奉公人を
召使う大百姓などは、身分重くして貴き者というべし。身分重くして貴ければ自ず
からその家も富んで、下々の者より見れは及ぶべからざるようなれども、その本を
尋ぬればただその人に学問の力あるとなきとによってその相違も出来たるのみにて、
天ょり定めたる約束にあらず。諺に云く、天は富貴を人に与えずしてこれをその人
の働きに与うるものなりと。
されば前にも言える通り、人は生れながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を
勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人と
なるなり。
全文はこちらでどうぞ
http://www.slis.keio.ac.jp/~ueda/gakumon.html