嘉穂高校は東筑の分校ではない スッキリ
異業種交流会・校友会 自己紹介の定番は
炭鉱王 伊藤伝右衛門が作った 嘉穂東高校出身です
こう自己紹介すると
「筑豊にカホって高校なかったっけ、嘉穂東と同じ?」と良く聞かれる
「カホってどんな高校?」と続く
ここから先は嘉穂高校の卒業生の出番なのだが
60歳以下ではなかなか 説明が出来ないらしく
東筑の分校ですと 助け舟を出してあげることがある
ところが これが間違いだったのが判明
東筑高校(旧制中学)の仮校舎を飯塚に建設
東筑が校舎移転したのこりの校舎を使って 嘉穂高校(旧制中学)設置が本当のようだ
このネタ 東筑高校出身イケメン税理士 M先輩に今度お話しよう
上記二つの名門学校 税金で作られたものだが
この時代 私財を使って学校を建てた 伊藤伝右衛門 安川 敬一郎
病院を建てた 麻生太吉
筑豊の炭鉱主の財力がどれほどのものかを物語っている
以下 上記ネタのソースだ
福岡県立東筑高等学校沿革 ソースは
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明治30.11 通常県会で両筑の東部に一中学を新設することを議決
明治31.5.31 臨時県会にて中学校の位置を遠賀郡洞南村(現折尾)と定め
仮校舎を
嘉穂郡飯塚町(現飯塚市)に設けることに議決
明治31.5.16 臨時県会に於いて校舎の配置を遠賀郡洞南村に議定
明治31.6.1 中学校新設、校名福岡県東筑尋常中学と称する
明治31.6.10 開校式を挙行
明治32.4.1 福岡県東筑中学校と改称
明治34.5.4 福岡県立東筑中学校と改称
明治35.3.20 第一回卒業証書授与式挙行 卒業生17名
明治35.3.27 遠賀郡洞南村大字折尾の新校舎に移転
福岡県立嘉穂学校沿革ソースは
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明治35年 3月 福岡県嘉穂郡立嘉穂中学校創立
明治41年 4月 福岡県立嘉穂中学校と改称
飯塚病院沿革 ソースは
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