2010年08月01日

嘉穂高校は東筑の分校ではない  スッキリ

嘉穂高校は東筑の分校ではない  スッキリ
異業種交流会・校友会 自己紹介の定番は
炭鉱王 伊藤伝右衛門が作った 嘉穂東高校出身です

こう自己紹介すると
「筑豊にカホって高校なかったっけ、嘉穂東と同じ?」と良く聞かれる
「カホってどんな高校?」と続く
ここから先は嘉穂高校の卒業生の出番なのだが
60歳以下ではなかなか 説明が出来ないらしく
東筑の分校ですと 助け舟を出してあげることがある

ところが これが間違いだったのが判明
東筑高校(旧制中学)の仮校舎を飯塚に建設
東筑が校舎移転したのこりの校舎を使って 嘉穂高校(旧制中学)設置が本当のようだ

このネタ 東筑高校出身イケメン税理士 M先輩に今度お話しよう

上記二つの名門学校 税金で作られたものだが
この時代 私財を使って学校を建てた 伊藤伝右衛門 安川 敬一郎
病院を建てた 麻生太吉
筑豊の炭鉱主の財力がどれほどのものかを物語っている

以下 上記ネタのソースだ
福岡県立東筑高等学校沿革 ソースはこちら


明治30.11 通常県会で両筑の東部に一中学を新設することを議決
明治31.5.31 臨時県会にて中学校の位置を遠賀郡洞南村(現折尾)と定め
仮校舎を嘉穂郡飯塚町(現飯塚市)に設けることに議決
明治31.5.16 臨時県会に於いて校舎の配置を遠賀郡洞南村に議定
明治31.6.1 中学校新設、校名福岡県東筑尋常中学と称する
明治31.6.10 開校式を挙行
明治32.4.1 福岡県東筑中学校と改称
明治34.5.4 福岡県立東筑中学校と改称
明治35.3.20 第一回卒業証書授与式挙行 卒業生17名
明治35.3.27 遠賀郡洞南村大字折尾の新校舎に移転




福岡県立嘉穂学校沿革ソースはこちら


明治35年 3月 福岡県嘉穂郡立嘉穂中学校創立
明治41年 4月 福岡県立嘉穂中学校と改称

飯塚病院沿革 ソースはこちら


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この記事へのコメント
嘉穂と嘉穂東を同列で並べるのはおかしい。
嘉穂東は公務員養成校であり、進学率は
極めて低いはずだ。
まあ、母校愛はわかるが。しょせん東である。
Posted by 飯塚市民 at 2012年06月13日 22:37
おっしゃる通り
大事なのは
母校愛だと思います
私の周りの嘉穂の卒業生
特に福岡市在住の人
嘉穂高校出身を隠します
学校の価値は東大への合格者で
はかるものではありません
母校に対する愛情だとおもいます

公務員養成学校が
東の生きる道と考え
実行したO先生
嘉穂出身です
感謝してます
Posted by ともも at 2012年06月15日 09:46
へ~。そうなんですか。
偶然ですね。私の周り(福岡市、北九州市在住含む)
の嘉穂東の卒業生は名前すら知られていないの
で隠す必要性も無いのでしょうが、東福岡よりも下のという
枕詞が付くことを嫌って出身校を伏せてますね。
同じですね。
でもね、公務員の養成というのは大正解ですね。
分相応だと思います。下手に転職するよりは
一生、公僕として生きていくことは東OBには
合ってると思います。
いずれにしても、とももさんの母校愛はすばらしい。
嘉穂東バンザイ。嘉穂東ガンバレ。
Posted by 飯塚市民 at 2012年06月16日 21:31
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