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2012年02月27日

飯塚山笠 二瀬流③ 二瀬流“りゅう”を作る (最終回)

今回お二人にお話しを聞く中で、二瀬流(ながれ)ではなく、
二瀬流(りゅう)を作るんだというコトバが印象的でした。
伝統だ! 女は入れない!
そんなことは関係ないんだ
「みんなで、二瀬を盛り上げよう」
「みんな仲間だろう」 
二瀬流(りゅう)で行こう
というコトバが心に響きました

そしてこれから 二瀬流(りゅう)
の伝統を作って行くんだ
この心構え素晴らしい

山笠以降、二瀬公民館まつりなど
様々なイベントに若者たちが参加してくれるようになっているそうです

斉藤山頭がいたから、二瀬流が出来たんだと私は確信しているのですが
斉藤山頭からは、みんなが一つになり、協力したから実現したんだ
俺は何もしていない 「みんなが」 「みんなが」を繰り返していました
炭坑が盛んなころの二瀬流 5年で幕を閉じました
山頭、事務局長の話を聞いて、
この5年の歴史なんてあっという間に塗り替えてしまうなと思った。

二瀬地区出身で飯塚や博多の山笠に参加している人達が
どんどん帰ってくるだろう、
博多、筑豊の男衆、
きっとお前ら地元に帰れと後押しもしてくれているに違いない。

博多のヤマをかいている人と話すと
飯塚に山笠があるんだって
何年になる
定着して本当に良かったね

場所は違えど、ヤマを動かすには、心がひとつにならないと動かない
それを知っている人たちは
同じ山笠に参加している人たちをみんな仲間だと思っている

そして、これから、他の地域からも「山笠をやろう」とういう声が
どんどん出てくる、私の地元穂波でもそろそろかな
いつでも走れるよう、トレーニングしよう。

タグに嘉穂東高校を付けました
なぜなら、事務局長 嘉穂東卒 
山頭も何年か 嘉穂東に通ったそうです(卒業は別な高校)
やっぱり 嘉穂東は人間力のある人物をたくさん輩出している

いろいろな話は、筑豊に関連づけますが
筑豊ネタは 嘉穂東高校に行きつきます
我田引水ではありません(笑)
母校愛です。
  


Posted by ともも at 13:06Comments(0)30人委員会