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2010年02月26日

「兵に告ぐ」  226事件を筑豊視点で考える


2月26日といえば 1936年の
226事件 (詳細はウイキペディア参照

226事件を筑豊視点で考えると
戒厳令指令
あの 「兵に告ぐ」  「今からでも遅くない」の
香椎浩平中将 嘉麻市大隈出身

「兵に告ぐ」の原文を探すとウイキペディアに
 「兵に告ぐ」
敕命が發せられたのである。
既に天皇陛下の御命令が發せられたのである。
お前達は上官の命令を正しいものと信じて絶對服從をして、
誠心誠意活動して來たのであろうが、
お前達の上官のした行爲は間違ってゐたのである。
既に敕命天皇陛下の御命令によってお前達は皆原隊に復歸せよと仰せられたのである。
此上お前達が飽くまでも抵抗したならば、それは敕命に反抗することとなり逆賊とならなければならない。
正しいことをしてゐると信じてゐたのに、それが間違って居ったと知ったならば、徒らに今迄の行がゝりや、義理上からいつまでも反抗的態度をとって天皇陛下にそむき奉り、逆賊としての汚名を永久に受ける樣なことがあってはならない。
今からでも決して遲くはないから直ちに抵抗をやめて軍旗の下に復歸する樣にせよ。
そうしたら今迄の罪も許されるのである。
お前達の父兄は勿論のこと、国民全体もそれを心から祈ってゐるのである。
速かに現在の位置を棄てゝ歸って來い。
          戒嚴司令官 香椎中將

そして このとき 襲撃を受けたが助かった牧野伸顕の孫娘、
麻生和子が、
筑豊出身の総理大臣 麻生太郎の母親だ
そう考えると 歴史は身近なところで起こっているのが理解できる。  


Posted by ともも at 21:21Comments(0)ひとりごと